ファッションデザイナーである「ロゲール・ピゲ」や「ルシアン・ルロン」の店で助手を務めていたディオールは1946年、コットン王の異名を持つ繊維業界で成功した大富豪の支援を受けて、パリ・モンテーニュ街30番地にオートクチュールサロン「マルセル・ブサック」を開店します。
実はこの出来事…「41歳で出会った運命の人」という星占いにでていた通りにことが進んだのですが、デザイナーとしては遅いデビューとなりました。
1947年のデビュー・コレクションは、ディオールにとって記念すべきものとなりました。当時、モード界に多大な影響力をもっていた『ハーパース・バザー』の編集長カーメル・スノウが「モード界に革命が起こった」と評価したことで、まさにディオールによる「ニュールック」が誕生したのでした。
それもそのはず、20メートルもの生地をたっぷりと巻きつけたようなロングスカートや、腰を絞った砂時計の優美な“エイト(8の字形)ライン”を発表すると、物資不足で機能優先の制服的な服に飽き飽きしていた戦後の女性たちの心をつかみ、熱狂的に迎えられたのでした。
1988年、「ルイ・ヴィトン」によるクリスチャン ディオール社の買収によって、ディオールは世界最大のラグジュアリー・ブランド・グループの一員となりました。
1989年、イタリア人のデザイナー「ジャン・フランコ・フェレ」がレディス部門のディレクターに就任すると、元々評判の高かった華麗なフェレの服は、ジュネーブ、ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルス、日本など世界主要都市への出店を実現しました。日本では、アクセサリーやサングラスなどが注目を集め、爆発的な人気を誇っていますね。