
パリ・オートクチュール全盛期の中心的な存在の名デザイナー。
元々は画商だったが、作品がクチュリエに売れたことで一転、モード界に入る。
◆リュシアン・ルロンのメゾンで働くクリスチャン・ディオール…彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で、1946年にパリ・モンテーニュ通り30番地に店を持って独立する。

そして…そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー(HARPER'S BAZAAR)」の編集長カーメル・スノウが「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから「ニュー・ルック」と呼ばれ、世界のモード界に旋風を巻き起こした。

◆1957年、イタリアの湯治場モンテカティーニで、52歳の若さで心臓麻痺により急逝。
1957年 S/S コレクションが最後の仕事となった。毎コレクションで発表するアイテムの1つに、必ず愛犬「ボビィ」の名を付けて発表していたという逸話もある。